「和」を以て先送りとなす!

 メカトロで世界に貢献。 長崎県諫早出身の創業社長が、チョットおかしな世を嘆き、自らの持論を展開.

2011年02月

逆さハナゲ(病歴1)5

高校3年のとき、大臼歯に、黒い溝を発見した。

少年から、青年に向かってぐんぐん成長している時期で、植木等の虫歯の歌が流行っていた。
まだ若いのに、これからは、どんどん衰えていくだけなのか・・・と妙な喪失感を味わった。

新入社員のころ、仕事が忙しくなると出る症状は、胃のもたれであるが
医者に行くと神経性胃炎といわれ、効き目のない薬を2,3回飲めば、面倒くさくなって、症状まで忘れてしまうのが、いつものことであった。

残業が100時間を越えると動悸、期外収縮がおこり、心臓ノイローゼの精神状態で24時間心電図計を身につけたり、薬を服用したり、あるいは会社をやめようかとも考えたりしているうちに症状は治まるが、4,5回繰り返しているうちに、会社を辞めてしまった。
その後は自分で起業するしかないので、今のような会社をやる羽目になった。

会社はじめると、今度は資金繰りプレッシャにより、夜も眠れなくなる。
2日くらい、眠れなくて寝床で時計を眺めているだけで、そのうち顔がドス黒くなってくる。

零細企業の経営者の資金繰り病として、顔色悪いとか、熟睡できないとか、テレビで話題となるが、自分で罹ってみて、なるほどと感心はしていられないが本当のことである。
処方箋は、忙しくなることで、3、4ヶ月分の仕事が入れば、コロッと治癒するが、自殺する人もいるから重篤な病気であるともいえる。

二人目の子供が生まれるというある日、目を覚ました、天井の桟がゆらゆらして、吐き気がしてきたので、おかしいなと思っていたらグルンとあたりが回りだした。
こりゃ大変だ、今俺が倒れたら身重の女房は・・・・などと気を揉んで、救急車を呼び近所の野次馬に見送られて、病院にいった。

診察の結果、異常なしといわれバツの悪さを引きずりながら、帰宅したら、隣のばあさんに、ソリャー二日酔いだー、天井がグルングルん回るんダカラーといわれた。
そうか二日酔だったのかと安堵した次第であるが、37歳で初体験とは、酒飲みの修行が足りないと笑われても仕方がない。

このようなわけで、これまでは誇れるような病歴は無かったが、42、3歳頃、死の恐怖を味わったことがある。

逆さハナゲ(病歴2)へ続く

閉塞感の打破5

今、日本全体が、えも言われぬ閉塞感に陥っている。
その原因は、戦後の高度成長政策がバブルを機に破綻したにもかかわらず、いまだ国民総意の成長戦略を描き切れない所にあると思う。

そのような中、暫定的に、景気浮揚策が実行されるが、既得権者が一時的に良くなるだけで、弱者にはその恩恵にはあずかれない。特に、若者は弱肉強食ならぬ若肉老食といわれているくらい、未来を食いつぶされている。
このような閉塞状況を如何に打破するか、知恵のある若者なら、答えを見つけられるはずだ。

昭和20年の終戦後(今から65年前)、日本中の誰もが貧乏のどん底にあった。
勝者のアメリカは、ギブアップした日本人を、キリスト教的人道主義に基て、何くれと便宜を図ってくれた。
そして、朝鮮戦争の特需、神武景気、岩戸景気、、オリンピック景気、いざなぎ景気と順調に経済が発展して、日本人の生活レベルも向上してきた。

その好景気の折々に田舎から集団就職と称して、中学卒の子供たちが次々と都会へ出て行って、工場労働者として景気の下支えをしていた。
又、その一環で、戦中の産めよ増やせのベビーブームで生まれた極端に人口の多い世代の子供たちの社会での受け皿として移民政策も実行していた。

わが故郷の町にも新制の農業高校が誕生、その後、拓殖科が新設されて、移民を奨励していた。
今でいう、グローバリゼーションの考えを当時の移民政策が先取りしていた。

ここに、閉塞感の打破という命題を解決するヒントがあると思う。
そうだ、若者は荒野を目指すのだ!!、荒野とは海外だ、そこには遮るものはない。
あるとするならば、心の中にある躊躇だけだ・・・とまあ、こんな具合だ・・

先に、2回にわたって弟家族というブログを載せたが、当時のグローバリゼーションを実践した一人の成功者として、紹介したのであるが、3回も失敗談を載せてなにが成功者だ・・・とお叱りの声が聞こえてくるがちょっと考えてみてください。

弟に言わせると、当地では、騙されたのは全て自己責任であって、それを引きずっていても、誰にも同情されないし、馬鹿にされるだけだから、直ぐに次の手を考えるとのことである。 
そして次の手を実行して、それなりの生活を維持するその明るさが、日本のがんじがらめの風土とは違うのである。いわゆる、何でもありの世界である。そこには閉塞感はない・・・。

現在は、ある国の学校法人の営繕業務である校庭の植栽を請け負っているという。
4,5人を使って、日本的な決め細やかな感覚の植栽を提案して、気に入れらているそうだ。

社会保険の未払いの件で裁判に負けたと書いたが、現在、上告して裁判を継続している。
最近どこかの国でもあった、行政側の杜撰さによって、支払った証拠を行政自身が見つけることができなくて起きた事件で、彼の国中で、噴出している問題だそうだ。

幸い、仲の良い友達に紹介してもらった弁護士が優秀で、勝訴する見とおしで、差押さえらた財産も戻ってくるというという。
以上、弟の名誉のために書き加えて置く

春焦がれ、花あこがれて、雪の中5

2011 2  1 博 0234,5日前、つかの間の晴天の日があった。

太陽光発電のパネル上に積もった雪が、一気に落ちた。
この1ヶ月。ほとんど発電しなかった状態であったが、一気にフル稼働、年間平均発電量を上回った。

前のブログに紹介した飯豊山が、きれいだ。

会津の平野から見た、銀シャリの山、雪解け水はこの山から、会津西北部の田んぼを潤す。
まさに言い得て妙な、ネーミングだ。
このまま 朝焼けに染まれば、赤飯豊山となる。
おめでたい山だ。

右上のピークが飯豊山、左のピークが大日岳、お互い高さが2100mを超える。
飯豊山の手前の丸い山が、黒森山、その手前の黒々とした山並と平地の境界に
会津盆地西縁断層帯が走っている。

西暦1611年、この断層が動いて2,5m強、山並が、会津盆地にのし上がってきた。
被害は、神社仏閣がことごとく倒壊して、この地にあった大建築がほとんど倒壊したという。

又、その影響で、盆地から日本海に流れ出る阿賀川がせき止められて、山崎新湖が誕生した。
その面積は、10~16K㎡あって、水を抜くのに34年かかったという言い伝えがある。

12月からもう2ヶ月弱、雪の中だ、完全に雪解けが終るのには、もう1.5ヶ月かかる。
今の時期になると、しきりにメロディが浮かんでくる歌がある。早春賦だ。

歌われている季節は4,5月頃の情景と思われるが、私には、今ごろにぴったりの心象風景だ。

それだけ、春を待ち焦がれる気持ちが強いと言うことなのであろうか?

でも、昔のようにときめかない。年をとったということだ。

弟家族(2)5

諦めの早い弟は、農場経営に全力を投入した。

簡易なビニールハウスを自力で何棟も建て、庭木を増やし、それをサンパウロ
の庭園業者に売った。
ある種の庭木は、自分がサンパウロに、流行らせたといって自慢していた。

従業員も数十人に増え、社会保険も積みたてていた。
シンジケートといって、現地の社会保険組合のようなものに、従業員の給料を
天引きして、積み立てていた。

給料日、弟が遠方に行っていたので、連れ合いが給料を引き出しに、銀行にいった。

銀行では、大金を、女性が引き出すので、出し渋っていた様子であったそうだが、
金を受け取って、銀行を 出てしばらくすると5,6人の男にとり囲まれた。 
身の危険を感じたので、もっていた現金を投げ捨てて、逃げたという。 

給料が払えなくなったので退職者が出たが、そのとき、社会保険が積み立てられ
ていなのが発覚した。
信頼していた経理担当者が失踪したので、積立ての真偽が不明で、弟は訴えら
れて裁判になって負けた。

この間、資金が不足して、我々に資金援助を求めてきた。
最大の理解者の父親は既に他界していた。
兄弟たちは自分たちの生活に忙しく資金援助ができなかった。

弟の長男は、その時、ブラジル一の工業大学で、ドクターコースの3年目だった。

彼は、一時休学し景気の良い日本に出稼ぎにきることを決意したが、両親諭され、
勉学を続けることにした。  その代わり、母親が日本に出稼ぎにきた。

母親は、日系何世かのブラジル人で、年齢は60歳を超ていたが初めて来日で、
1年間長野県の温泉宿で、仲居として働いた。

ブラジルに帰るとき、会津に来て、義父の墓前にお参りをしていった。
それから、5年経過した今年、弟から長男が勤めの関係で日本に行くから、
よろしくという電話が入った。  そして、会津にきた。

ドクターコースを終え、ポストドクターも経験したが、今ではブラシルの国営公社
で、研究者として勤めている。
その息子の話し振りから、自分をここまで育ててくれた両親を慈しむように尊敬
している様子が窺えた。

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