私が新入社員として、入社した頃の話だ。

技術系の学校を出たので、技術屋として、トヨタ関連会社に入社したのは昭和42年だ。
その前の年、その会社の入社試験を受けに名古屋まで開業数年目の新幹線に乗った。

最初に受けた会社は東京に本社があったのではるばる田舎から東京の八重洲口の本社で
試験を受けた。

その前の晩、 ビートルズが来日、羽田空港から降り立つ彼らを東京のホテルの白黒テレビ
で見たのはつい最近のような気がする。

それはともかく、2度目の入社試験を受けた会社に入ることになって、生産技術課に配属
になった。

生産技術の仕事は、量産に必要な車の部品を加工する治具や、工具、専用機等を
設計したり、外注に発注したりする仕事で、その製造ラインの機械を稼動するまで面倒を
見る部署である。
特に専用機や、自分で設計した機械を、立ち上げるのは、一苦労である

その苦労談を課長が酒の席で話していたのを昨日、思い出したのである。
いわく
“何ヶ月も、必死で立ちあげようとするけれども、性能が出なく、現場からやんやの
催促、上司からも散々プレッシャをかけられ、立ち上げようとしても、どうにもならない。

やがて、上司も文句をいわなくなったばかりか、責任を感じて奇策を考えた

夜勤をするとの口実で、工場の片隅に大きなあなを掘って埋めてしまったそうだ
後は、口裏を合わせて、知らぬ存ぜぬを通し尽くしてしてしまった” ということだ。

かの国の責任者も、白昼堂々とでなく夜陰に乗じて埋めてしまって、知らぬ存ぜぬを通せば、
これほど恥を欠くことも無かったろうにと思った話です