「和」を以て先送りとなす!

 メカトロで世界に貢献。 長崎県諫早出身の創業社長が、チョットおかしな世を嘆き、自らの持論を展開.

会津発ベンチャー

自己紹介(1)5


出生地は長崎県の諫早市である。
そこで4歳まで過ごした。

兄姉は長崎の原爆を見たといっている。
私が2歳のときである。

私は、誰かに抱かれて、赤黒い夕焼け雲のようなものを見た記憶がある。それが原爆であったかどう定かではない。

終戦から2年後、父は学制改革のさなか、自分の故郷の会津に、新制高校の教員として赴任することになった。

 一家8人家族が九州を引き上げる途中、大阪駅で野宿するぼろ着姿の浮浪者を目にしたのも思い出される。

4歳から18歳まで会津で育ったが、佐賀県生まれの母と長崎育ちの5人兄弟の影響が強く情緒的には西国気質のよそ者として会津で育ったことになる。

18歳から30歳まで、山形県、愛知県、宮城県で、自分探しをしたが、再び、会 津に戻ってきて、頭をまっさらにして飯の種を獲得すべく術を学んだ。

 2年後、地元の女性と結婚したのを境に青春時代の許された彷徨は終り、この地で生きていく覚悟ができた。

自己紹介(2)へ続く

会津発ベンチャー 躍進への新たな旅立ち5

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会津発ベンチャー メカテックです。

今日から社長ブログをはじめた。

初心者だから、操作に気をとられて、記事まで手が回らない。

いま思えば、20代の若き日、ラーメン(Rahmen)構造、トラス(Truss)
構造など、構造物を組み立てるときの三原則(力学・機構・材料特性)
も誰に教えてもらったわけじゃない。 

全部独学だった。
機械設計の習得と同じで、習うより慣れろということか。

(株)メカテックを起業して34年。

独立して数年間は食えなかったが、家内は愚痴ひとつ言わず笑顔で
いてくれた。  本当に助かったし、なおさら奮起できた。
感謝の言葉を言いたいが照れくさくて、いまだに言えない。

ブログ開設を機に、言葉にかえ文書で妻に
「本当に有難う。これからも元気で、末長く宜しく。」と言いたい。

創業精神の初心を忘れず、もうひと華、ふた華さかせるぞ!

次頁へ続く
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